「ほんとうは好きなものを着たかったのに」という恨み節
私はすでにアラフォーですが、そんな年齢になってもなお「ほんとうは好きなもの着たかったのに、社会や親の圧力でできなかった」という恨みのような気持ちが残っています(最終的に選んだのはかつての自分なのですが)。
私が若かった頃はまだ「女性はこうあるべき」みたいな空気感が社会に漂っていました。
また親が「あれはダメこれはダメ」タイプの人間だったので、常に”周囲の目”を気にして生きてきました。
服についても、「本当はこういうのが着てみたいけど……周りに何か言われるかな?」というフィルターを常にかけていました。
「文句をつけられなさそうなアイテムの中で、最もマシなものを選ぶ」のを繰り返してきたわけです。
無難なものにしておけば批判はされないので、平和ではありましたが、どうにもモヤモヤしてたまらない。
「あーあ、私、今日も冴えない服着ているな」と。
客観的に見ればそんなことなくても、自分で「冴えない」と思っているので、「服が地味でダサいって思われているのではないか」とこれまた不安なのです。
そんな「冴えない」自分のことを、なかなか好きになれませんでした。
そこではたと思うのです。
「イタかろうが何だろうが、一旦好きな物を着て暮らしてみないと、この”好きな服着たかったのに的恨み”が死ぬまでに消化されないのではないか」と。
ちょっと冒険しては戻る
それで、ちょっと冒険してみたりするのですが、「やややや、やっぱ変だったかな???」と不安でたまらない。
これまでの「無難コーデ」に、思いつきの「冒険アイテム」を投入するので、なんだかちぐはぐなのです。
おそらく、客観視というか、吟味が足りないんだろうな、と思っていました。
そんなときに、この本を読みまして。
好きなものを身に着けるために自分を客観視する
上記の本より、当ブログに関わるポイントを抜粋すると
・気になるものを選別していくことで自分を客観視できるようになる
・そのために好きなものを発信する(インスタ、ツイッター、ブログなど)
ブログサービス(noteなど)で自分のページを持ち、持っている服や買ったもの、手放したものを文章や写真、イラストを使って記録していくのもおすすめです。ワードローブを見直すことで「好きなファッションの方向性」を言語化&可視化することができます。着ていた期間や手放した理由も記載しておけば、自分のファッションの傾向が見られて、次の買い物の基準にもなります。
『一年3セットの服で生きる 「制服化」という最高の方法』p.95
ということで、買ったものや手放したもの、好きな物、気にいっているもの、愛用しているものを書き連ねてみたらどうなるんだろうと思い、当ブログを立ち上げました。
目標は少しでも自分を好きになること
「自分」には様々な要素がありますので、ファッションを整えたからといって自分を好きになれるわけでもないというのは重々承知しています。
ただ、少なくとも、好きな物を身に着けているときって、気分がいいのです。
それを積み重ねていくと、少しは自分のことが好きになる……まではいかなくても、自分に納得がいく状態に近づけるのかなと今は思っています。